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入力画像 夏目漱石著/こころ
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こころ

363

こころ

362

一
上 先生とわたし

こころ

 わたしはその人を、常に先生と呼んでいた。
だから、ここでもただ先生と書くだけで、本名
を打ち明けない。これは、世間をはばかる遠慮
というよりも、そのほうがわたしにとって自然
だからである。わたしはその人の記憶を呼び起
こすごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆
をとっても、心持ちは同じことである。よそよ
そしいかしら文字などは、とても使う気になら
ない。
 わたしが先生と知り合いになったのは、鎌倉
(かまくら)である。その時わたしは、まだ若
若しい書生であった。暑中休暇を利用して海水
浴に行った友だちから、ぜひ来い、というはが
きを受け取ったので、わたしは多少の金をくめ
んして、出かけることにした。わたしは金のく

めんに二、三日を費やした。ところが、わたし
が鎌倉に着いて三日とたたないうちに、わたし
を呼び寄せた友だちは、急にくにもとから、帰
れ、という電報を受け取った。電報には、母が
病気だから、と、ことわってあった。けれども、
友だちはそれを信じなかった。友だちはかねて
から、くにもとにいる親たちに、すすまない結
婚をしいられていた。かれは現代の習慣からい
うと、結婚するにはあまり年が若すぎた。それ
に、肝心の当人が気に入らなかった。それで、
夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて、
東京の近くで遊んでいたのである。かれは電報
をわたしに見せて、どうしよう、と相談をした。
わたしにはどうしていいかわからなかった。け
れども、実際かれの母が病気であるとすれば、
かれはもとより帰るべきはずであった。それで、
かれは、とうとう帰ることになった。せっかく
来たわたしは、ひとり取り残された。
 学校の授業が始まるには、まだだいぶ日数が
あるので、鎌倉におってもよし、帰ってもよい
という境遇にいたわたしは、当分もとの宿にと
まる覚悟をした。友だちは中国のある資産家の
むすこで、金に不自由のない男であったけれど
も、学校が学校なのと、年が年なので、生活の
程度はわたしとそう変わりもしなかった。した
がって、ひとりぼっちになったわたしは、別に
かっこうな宿を捜すめんどうももたなかったの

である。
 宿は鎌倉でもへんぴな方角にあった。玉突き
だのアイスクリームだのというハイカラなもの
には、長い畷(なわて)を一つ越さなければ手
が届かなかった。車で行っても二十銭は取られ
た。けれども、個人の別荘はそこここに、いく
つでも建てられていた。それに、海へはごく近
いので、海水浴をやるには、しごく便利な地位
を占めていた。
 わたしは毎日海へはいりに出かけた。古いく
すぶりかえったわらぶきの間を通り抜けて、い
そへ降りると、このへんにこれほどの都会人種
が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女
で砂の上が動いていた。あるときは、海の中が
銭湯のように黒い頭でゴチャゴチャしているこ
ともあった。その中に知った人をひとりも持た
ないわたしも、こういうにぎやかなけしきの中
に包まれて、砂の上に寝そべってみたり、ひざ
がしらを波に打たしてそこいらをはねまわるの
は、愉快であった。
 わたしはじつに、先生をこの雑踏の間に見つ
け出したのである。そのとき、海岸には掛け茶
屋が二軒あった。わたしはふとした機会から、
その一軒のほうに行きなれていた。長谷(はせ)
へんに大きな別荘を構えている人とちがって、
めいめいに専有の着替え場をこしらえていない
ここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同

 二
 着替え所といったふうなものが必要なのであっ
た。かれらはここで茶を飲み、ここで休息する
ほかに、ここで海水着を洗たくさせたり、ここ
で塩はゆいからだを清めたり、ここへ帽子やか
さを預けたりするのである。海水着を持たない
わたしにも、持ち物を盗まれるおそれはあった
ので、わたしは海へはいるたびに、その茶屋へ
いっさいを脱ぎ捨てることにしていた。

 わたしがその掛け茶屋で先生を見たときは、
先生はちょうど着物を脱いで、これから海へは
いろうとするところであった。わたしはそのと
き反対に、ぬれたからだを風に吹かして水から
上がってきた。ふたりの間には、目をさえぎる
いくたの黒い頭が動いていた。特別の事情のな
いかぎり、わたしはついに先生を見のがしたか
もしれなかった。それほど浜べが混雑し、それ
ほどわたしの頭が放漫であったにもかかわらず、
わたしがすぐ先生を見つけだしたのは、先生が
ひとりの西洋人をつれていたからである。
 その西洋人のすぐれて白い皮膚の色が、掛け
茶屋へはいるやいなや、すぐわたしの注意をひ
いた。純粋の日本のゆかたを着ていたかれは、
それを床几(しょうぎ)の上にスポリとほうり
出したまま、腕組みをして、海のほうを向いて
立っていた。かれはわれわれのはくさるまた一

つのほか、なにものも膚につけていなかった。
わたしにはそれがだいいち不思議だった。わた
しはその二日(ふつか)前に由井ガ浜(ゆいが
はま)まで行って、砂の上にしゃがみながら、
長い間西洋人の海へはいる様子をながめていた。
わたしのしりをおろしたところは少し小高い丘
の上で、そのすぐわきがホテルの裏口になって
いたので、わたしのじっとしている間に、だい
ぶ多くの男が塩を浴びに出てきたが、いずれも
胴と、腕と、ももは出していなかった。女はこ
とさら肉を隠しがちであった。たいていは、頭
にゴム製のずきんをかぶって、えび茶や、紺や、
あいの色を波間に浮かしていた。そういうあり
さまを目撃したばかりのわたしの目には、さる
また一つですましてみんなの前に立っているこ
の西洋人が、いかにも珍しく見えた。
 かれはやがて、自分のわきをかえりみて、そ
こにこごんでいる日本人に、ひと言ふた言、何
かいった。その日本人は砂の上に落ちた手ぬぐ
いを拾いあげているところであったが、それを
取り上げるやいなや、すぐ頭を包んで、海のほ
うへ歩きだした。その人がすなわち、先生であ
った。
 わたしはたんに好奇心のために、ならんで浜
べを降りていくふたりのうしろ姿を見守ってい
た。すると、かれらはまっすぐに波の中に足を
踏み込んだ。そうして、遠浅のいそ近くにワイ

ワイ騒いでいる多人数の間を通り抜けて、比較
的ひろびろとしたところへ来ると、ふたりとも
泳ぎだした。かれらの頭が小さく見えるまで沖
のほうへ向いていった。それからひき返して、
また一直線に浜べまでもどってきた。掛け茶屋
へ帰ると、井戸の水も浴びずに、すぐからだを
ふいて、着物を着て、さっさとどこかへ行って
しまった。
 かれらの出ていったあと、わたしはやはり、
もとの床几(しょうぎ)に腰をおろして、タバ
コを吹かしていた。そのとき、わたしはポカン
としながら、先生のことを考えた。どうも、ど
こかで見たことのある顔のように思われてなら
なかった。しかし、どうしてもいつどこで会っ
た人か思い出せずにしまった。
 そのときのわたしは、屈託がないというより、
むしろ無聊(ぶりょう)に苦しんでいた。それ
で、あくる日もまた、先生に会った時刻を見は
からって、わざわざ掛け茶屋まで出かけてみた。
すると、西洋人は来ないで、先生ひとり、むぎ
わら帽をかぶってやってきた。先生はめがねを
とって台の上に置いて、すぐ手ぬぐいで頭を包
んで、すたすた浜を降りていった。先生がきの
うのように、騒がしい浴客の中を通り抜けて、
ひとりで泳ぎだしたとき、わたしは急にそのあ
とが追いかけたくなった。わたしは浅い水を頭
の上まではねかして、相当の深さのところまで
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